幸せかと問われたら

すぐ頷けるように生きていきたい

あっという間

昨日、可愛い後輩の誕生日だった。
何の気なしに「良い26歳にしてね」と言ったら「先輩は良い1年でしたか?」と。


ふむ。
少し考えてみた。


26歳の1年は、色々あったなと。
転職をし、手術をし、癌だとわかり。不安になり、立ち直り、また不安になり。

そして27歳になって。
気がつけば元通りの特に変わらない毎日を過ごせていることに、とても感謝するべきだなと。

当たり前のことが幸せだと身をもって気づくことができたのは良かったと思っている。



少し前に、何かで見た。
「不幸だと思うのは、比べているから。」
「他人と」「理想の自分と」
そうなのかもしれない。

自分は欲のない人間だと思ってきたけれど、程度の大小はあれ、こうなりたい、ああしたい、というものはやっぱりいくつかあるものだ。

自分にとって絶対に叶えたいものが、どうしても叶わなかったとき。
いつか人生を振り返って、幸せだったなと思えるのだろうか。

考えると怖いなと思う。



私は子どもが欲しいと思っている。
自分の身体にはきっとリミットがある、そしてそれは人より短いかもしれない。

こればっかりは努力してもどうにもなるまい。授かりものとはよく言ったものだ。

今でも十分幸せだ。それは間違いない。
それでも、もし子どもに恵まれなかったら、自分は不幸だと思ってしまうだろう。

幸せな家庭を築きたいという平凡な夢は、意外と難しいのかもしれない。
「幸せな家庭」に子どもがいる、という自分の価値観にも改めて気づく。


ただ一つの夢が、叶わなかったら?
それはそのときに考えなければならない。
今は目をつぶっておこうと思う。未来を信じて。


何も知らない後輩よ、あなたは知らなくていい。
まだ知らなくていいのさ。

私の夢が叶ったら、話すよ。

あれから

初めての手術から2ヶ月。
手術がおわって日常が戻ってくると思っていた。


術後1ヶ月の検診で子宮体癌だったと聞かされる。
卵巣嚢腫と一緒に切除した子宮内のポリープが癌化していたらしい。

子宮体癌は40〜50代が主にかかるらしく、
30代でも稀、20代では聞いたことがないと言われた。
顔色が変わらなさそうな先生の表情が重く見えた。


混乱した。
それでもある程度冷静でいられたのは、今年から天中殺だと聞いていたから。
病気が長引くかもね、と、何の気なしに言われた言葉が、頭の中に帰ってきていた。


とりあえず切除をしたので残存は考えにくいとの説明もあり、そこまで事態は悪くなさそうなのも幸いだった。
抗がん剤はとりあえず不要らしく、ホルモン剤で追加治療をすることになった。
子宮を温存するにはそれしかなかったからなのかもしれないが。

治療方針として渡された紙に書いてある「癌」という文字に、まだ理解が追いついていなかった。


とりあえず家に帰って泣いた。
病院でも帰り道でも泣かなかった、褒めてほしい。

夢なんてない自分が唯一描いてきた「幸せな家庭を築きたい」という夢が、
「旦那の子どもが産みたい」という夢が、叶わないかもしれないということが、
1番怖かった。


帰ってきた旦那に話した。
泣き虫な旦那は、泣かなかった。
今思うと、泣かなかったことに救われたかもしれない。
「大丈夫」だと誰よりも信じてくれているのだと思った。


なかなか気持ちの整理はつかなかった。
不安だった。
できれば誰にも言いたくなかった。
それでも、言わないといけない人はいる。


最初に言いに行ったのは社長。
重くならないように軽めに話した。
真剣に聞いてくれたが、重くはしなかった。
通院に関しても融通をきかせてくれて感謝しかない。
まず話せたことにホッとした。
仕事も続けられそうで安心した。


次に言いに行ったのは、前職のお客さん。
大好きでよく話をしに行っていて、
その方が以前癌になったことも聞いていたので、
ただただ聞いてほしかった。
以前は聞いていなかったことも色々教えてくれた。
ネットで色々調べて不安になったりするのは無駄だと。
やっぱり同じ状況だった人から聞く言葉は響いた。
そして、親に言いづらいことも打ち明けた。
背中を押してもらえた。
本当に助けてもらった。


誰よりも親に言うのが1番怖かった。
泣くだろうか。何と言うだろうか。
意を決して話をすると、やっぱり泣きそうだった。
申し訳ないなと思ったが、親に言えたことで心は大分軽くなった。


今はとりあえず普通に生活できている。
何となく眠気が強くなった気がするが、とりあえず痛み等はない。
癌も、なってしまったものはしょうがないと思うようになった。
たまたま見つかって切除できたことに感謝している。
見つかっていなかったら、癌だと知らないまま今日も過ごしていたはず。

付き合って行くしかないのだ。
きっと、なるようにしかならないのだ。


きっと大丈夫。
少しでも長く、隣で眠っている旦那の傍にいられれば。
それだけでいい、そう思う。

長かった1週間

明日退院する。
傷の痛みもだいぶ良くなり、歩けるようになり、くしゃみをしても多少顔を歪める程度で済むようになった。
術後回復に努める必要があるとはいえ、とにかく暇だった。



今更だが私は卵巣嚢腫の除去のため手術をした。
あまりにも暇だったため、インターネットで同じような方の体験談を検索しては読んでいた。手術後に。

私の場合は母が同様に手術を受けていたこと、20歳前後のときに婦人科検診ですでに嚢腫の存在を知っていたこともあり、病気(病気とも思っていなかったが)に対する恐怖は全くなかったのだが、そうか、確かに怖いかもしれないな。

今日診察を受けて片方の卵巣が内出血しているが時期に消えると思うとのことだった。2週間後に再度診察を受ける予定だ。
嚢腫も良性だったとのことだ。色々見せてもらったが、内蔵の写真や嚢腫の中身の写真を見たい人はいるのだろうか。母は現物を見せられたと言っていたのでそれに比べればましか。

手術中の出血量やその他の数値に関してもしっかり教えてくれた。すべて安定していたようで、全身麻酔のみで済みました、とのことだった。
なるほど、だからあんなに術後痛かったんだな。痛み止めは事前に打てないんですか先生。きっと打てないんですね。

心配なのは緩やかな微熱とまだテープが貼ってある傷跡、あとは今後子どもに恵まれるかだろうか。
とはいってもそこまで心配してもないが。あと再発もかな。



婦人科の病気ってだけでなんとなく大っぴらにしづらいのは世間的なものなんでしょうかね。私はあまり気にしていないが、周りの過剰な配慮には多少思うところがある。もしこれが盲腸とかだったらみんな普通に受け止めてくれるのかしらね。
生理用品のCMはバンバン流すくせに、生理用品を買うと中身が見えないように隠すのがずっと不思議だったのだが、この間商品を詰めてもらいながらふと(自分が公共交通機関で生活していたら確かに少し気にするかもしれない)と脳内で結論が出た。車社会だったら別にいいもんね、すぐ車に置くだけだもん。

あとは避妊具もだな。大切なことなのにね。学校でもしっかり教わった記憶がないほどタブーな感じになっているけれども。本当に、自分の身を守れるのは自分だけなんだぜベイビー。
恥ずかしいから、じゃねえんだよ。自己防衛だ。婦人科検診だって、そうだよ。



男性は定期検診受けなくてもいいのかしらね。1年に1回、みたいに言われるのって婦人科ばかりであまり男性はなさそうなイメージだ。
健康診断だけ受ければいいってもんじゃないのは身にしみている。
身体は本当に大事にしたほうがいい。健康は宝。



こーやって思ったことをつらつらと書き留めるのは意外と楽しいかもしれない。色々なことに思いをめぐらせる暇が持てるのは悪くないな。
明日からは少しだけ、いつもの喧騒にまた紛れることになりそうだ。でも、それもまた、悪くないな。

夢に出てくるのはいつも

相変わらず傷は痛い。それでも歩けるようになったし、ご飯も食べれるようになった。
旦那も忙しい中時間を見つけて会いに来てくれるし、両親も義両親も顔を出してくれた。ありがたい。恵まれていることに感謝したい。

さすがに1日中暇を潰す術をなくしつつあるので、ベッドに足を投げ出してぼんやり考え事でもするとしよう。



今日は夢を見た。昔付き合っていた人が出てきた。長いこと長いこと、人生で1番心を持ってかれていた人だ。
なぜか夢ではその人は私に優しい。いい記憶しか残らないというのはよく言ったもので、これも一種の記憶の改ざんだ。

そのおかげなのかずいぶんとまあ引きずり続けたが、それも昔の話。旦那との出会いではっきりいってふっきれている。
私は旦那がだいすきだ。旦那しか見えないのである。

感傷に浸るような夢をいつもみているわけではないが、夢になぜか旦那は出てきたことがない。不思議だ。出てくるのは昔好きだった人。もう、知らない人。

母が「〇〇(私)が小さかった頃の夢を見た」と言っていたのを何度か聞いたことがある。
夢は昔のことをうつすのだろうか。



そういえば、昔からよく追いかけられる夢をよく見ていた。今でも見る。
逃げ切れなくなりそうなところで目が覚める。当然、目覚めは最低だ。

嫌なことがあるとき、うまく行っていないことがあるとき、何かで首がしまっているとき。人生の大半以上のそんなときに見てきた夢だ。

ずっと悩んでいたが、ふと最近あまり見なくなったことに気づく。いつからか?きっと旦那と結婚してからだ。

旦那がいてくれるだけで私は幸せなのだ。嫌なことがあっても、何かうまく行っていなくても、何かで首がしまっていても。
1日の終わりを旦那と迎えることができたら。それだけで私は明日を生きていける。
旦那がいない人生は、もういらないのだ。



これは依存なのだろうか。きっと依存なのだろう。
特にこれといった趣味もない。いや、旦那が趣味なのだ。
毎日ちょっとちょっかいを出して構ってもらえるだけでいい。休みの日に一緒に必要なものを買いに行くだけでいい。一緒に美味しいものを食べて、たまにちょっぴり遠くに出かけて、季節が巡ってくるのを一緒に感じる。それが、いい。
旦那がいてくれることが1番幸せだ。



ずっとしんどかった。ずっと寂しかった。きっと無理をしてきた。気づかないところで。
幼い頃から大人ぶってしまった私は、弱音を吐ける場所がなかった。
手を差し伸べてくれたのは、旦那だった。人前で泣けたのは、久しぶりだったかもしれない。旦那と出会ってから、私は幸せだ。


私の人生は、旦那なしではもう意味をなさなくなってしまった。それは、私が望んでいること。



私のことがだいすきな旦那は、きっと私がこんなに旦那のことをだいすきだとは思っていないだろう。
それもきっと、それでいいのだ。
自分が重い女だということは、思春期から気づいている。



人生何があるかわからないものだ。
中学校も高校も嫌なことだらけだったけれど、いいことがあったね。
これからもきっと谷あり谷あり。山もあるかしら。あるといいね。

周りの人と、そして自分も、大切にしよう。
一人で生きると決めるより、誰かを信じて一緒に生きるほうがきっと幸せだ。



そんな人があらわれてくれたことへの感謝を忘れずに、いつまでもいれたらいいなと、思う。
そろそろ消灯だ。今日は夢なんてみなくていいほどに、深い眠りに落ちたいものだ。

バカいてぇ

昨日手術が無事おわった。



バカいてぇ。
なんだこの痛みは。

手術行くまでは余裕で、
運ばれていくときも非日常を感じて、
麻酔に一瞬でかかって

目が覚めたら地獄よ。



もーとにかく痛い。
死ぬと思うくらい痛い。

ドラマなんかだと手術後に
落ち着いた呼吸で会話してたりするけどあんなん嘘だわ。

ずっと「痛い、いじめだ、殺してくれ」とか叫んでたらしい。我ながらやばすぎないか。
いや、記憶はあるんだが、体感15分だったのに実際は2時間近く喚いてたらしい。クソ迷惑。

断片的な記憶はあるがあんまり覚えていない。
あまりに取り乱していたらしく旦那が今日も様子を見に来てくれた。仕事忙しいのに申し訳ない。ありがとう。



朝起きてからも地獄。
まず座れねえ。バカいてぇ。歩けもしねぇ。
トイレに歩いて行くだけで脂汗かいたわ。
自動リクライニングのベッドがないと生きていけない。

こんなんで1週間で退院できんのかほんとに。



そして看護士さんはほんとにすごい。
「白衣の天使」と呼ばれるわけだ。
笑顔で優しくしてもらえるだけでほんとに救われる。
男だったら惚れてるかもしれないわ。

自分ではできない仕事だなと思いつつ、一生尊敬し続けるんだろうな。
友達にも看護士いるけど、あんたすごいわ。偉いよ。



そして薬もすごい。痛み止めは神だ。
元々薬はあまり好きでなく、極力飲みたくないなと思うタイプだったのだが、これはもうぜひ飲みたい。
飲むと人間に戻れる。私は人間でいたい。
医学の力ってすげー。



今も2本の点滴を打たれながら、一度覚めてしまった目を閉じることができずにこのブログを書いている。
1日1日良くなっていくらしいが、早く3日くらい経たないかねえ。

初めての入院

26歳。
特にどこか痛いわけでも何か症状があるわけでもない。
ただ、嚢腫があるのは本当らしい。なんなら術前検査で追加でポリープも見つかったようである。
手術をするために、今日入院した。



いざ手術となった今もどこか他人事である。
保険屋の知人は「今まで手術したことない」「全身麻酔おっかない」と言った。
そうか、手術はおっかないのか。

そういえば色んな説明をされた。
全身麻酔をして喉から管を通すときに、もしかしたら歯が抜けてしまうかもしれないということ。
手術中にもしかしたらエコノミー症候群になってしまうかもしれないということ。
あと他にもあったが正直忘れてしまった。



幸い命に関わるような病気でもないはずなので、手術に対する恐怖はない。
ただ、これから訪れてくる検尿だの採血だの点滴だの絶食だの諸々が煩わしく感じている。
幸い現代に生まれたので今まで腹を切られたこともなく、どれだけの痛みがこれからあるのかもわからないし、正直やってみないとわからないじゃないか、という思いだ。

何度も看護士さんがばたばたと病室に入ってくるという、すごく現実感のない1日をぼんやりと過ごしている。



でも、これがもし重い病気での入院だったとしたら。私は今どんな思いでいるだろうか。

やっぱりまだまだ死にたくない。こればっかりは執着してしまうものだ。
旦那ともっと一緒にいたいし、子どもも授かりたい。
理由はそれに尽きるが、ひとつの理由にできるだけ長い歳月をかけて生きたい。

今まで大きい病気も怪我もなく生きてこられたことに感謝しつつ、これからもできれば平穏に生きていければ嬉しいものだ。



どうやら私は今年から天中殺に入ってしまったらしい。
今回の手術がどれだけの試練になるのかまだわからないが、色々しっかり受けとめたいと思う。

とりあえず早く旦那に会いたい。
何もない病室で潰しようもない暇を転がしながら、そのうち眠りに落ちれたら。