幸せかと問われたら

すぐ頷けるように生きていきたい

あれから

初めての手術から2ヶ月。
手術がおわって日常が戻ってくると思っていた。


術後1ヶ月の検診で子宮体癌だったと聞かされる。
卵巣嚢腫と一緒に切除した子宮内のポリープが癌化していたらしい。

子宮体癌は40〜50代が主にかかるらしく、
30代でも稀、20代では聞いたことがないと言われた。
顔色が変わらなさそうな先生の表情が重く見えた。


混乱した。
それでもある程度冷静でいられたのは、今年から天中殺だと聞いていたから。
病気が長引くかもね、と、何の気なしに言われた言葉が、頭の中に帰ってきていた。


とりあえず切除をしたので残存は考えにくいとの説明もあり、そこまで事態は悪くなさそうなのも幸いだった。
抗がん剤はとりあえず不要らしく、ホルモン剤で追加治療をすることになった。
子宮を温存するにはそれしかなかったからなのかもしれないが。

治療方針として渡された紙に書いてある「癌」という文字に、まだ理解が追いついていなかった。


とりあえず家に帰って泣いた。
病院でも帰り道でも泣かなかった、褒めてほしい。

夢なんてない自分が唯一描いてきた「幸せな家庭を築きたい」という夢が、
「旦那の子どもが産みたい」という夢が、叶わないかもしれないということが、
1番怖かった。


帰ってきた旦那に話した。
泣き虫な旦那は、泣かなかった。
今思うと、泣かなかったことに救われたかもしれない。
「大丈夫」だと誰よりも信じてくれているのだと思った。


なかなか気持ちの整理はつかなかった。
不安だった。
できれば誰にも言いたくなかった。
それでも、言わないといけない人はいる。


最初に言いに行ったのは社長。
重くならないように軽めに話した。
真剣に聞いてくれたが、重くはしなかった。
通院に関しても融通をきかせてくれて感謝しかない。
まず話せたことにホッとした。
仕事も続けられそうで安心した。


次に言いに行ったのは、前職のお客さん。
大好きでよく話をしに行っていて、
その方が以前癌になったことも聞いていたので、
ただただ聞いてほしかった。
以前は聞いていなかったことも色々教えてくれた。
ネットで色々調べて不安になったりするのは無駄だと。
やっぱり同じ状況だった人から聞く言葉は響いた。
そして、親に言いづらいことも打ち明けた。
背中を押してもらえた。
本当に助けてもらった。


誰よりも親に言うのが1番怖かった。
泣くだろうか。何と言うだろうか。
意を決して話をすると、やっぱり泣きそうだった。
申し訳ないなと思ったが、親に言えたことで心は大分軽くなった。


今はとりあえず普通に生活できている。
何となく眠気が強くなった気がするが、とりあえず痛み等はない。
癌も、なってしまったものはしょうがないと思うようになった。
たまたま見つかって切除できたことに感謝している。
見つかっていなかったら、癌だと知らないまま今日も過ごしていたはず。

付き合って行くしかないのだ。
きっと、なるようにしかならないのだ。


きっと大丈夫。
少しでも長く、隣で眠っている旦那の傍にいられれば。
それだけでいい、そう思う。