幸せかと問われたら

すぐ頷けるように生きていきたい

あっという間

昨日、可愛い後輩の誕生日だった。
何の気なしに「良い26歳にしてね」と言ったら「先輩は良い1年でしたか?」と。


ふむ。
少し考えてみた。


26歳の1年は、色々あったなと。
転職をし、手術をし、癌だとわかり。不安になり、立ち直り、また不安になり。

そして27歳になって。
気がつけば元通りの特に変わらない毎日を過ごせていることに、とても感謝するべきだなと。

当たり前のことが幸せだと身をもって気づくことができたのは良かったと思っている。



少し前に、何かで見た。
「不幸だと思うのは、比べているから。」
「他人と」「理想の自分と」
そうなのかもしれない。

自分は欲のない人間だと思ってきたけれど、程度の大小はあれ、こうなりたい、ああしたい、というものはやっぱりいくつかあるものだ。

自分にとって絶対に叶えたいものが、どうしても叶わなかったとき。
いつか人生を振り返って、幸せだったなと思えるのだろうか。

考えると怖いなと思う。



私は子どもが欲しいと思っている。
自分の身体にはきっとリミットがある、そしてそれは人より短いかもしれない。

こればっかりは努力してもどうにもなるまい。授かりものとはよく言ったものだ。

今でも十分幸せだ。それは間違いない。
それでも、もし子どもに恵まれなかったら、自分は不幸だと思ってしまうだろう。

幸せな家庭を築きたいという平凡な夢は、意外と難しいのかもしれない。
「幸せな家庭」に子どもがいる、という自分の価値観にも改めて気づく。


ただ一つの夢が、叶わなかったら?
それはそのときに考えなければならない。
今は目をつぶっておこうと思う。未来を信じて。


何も知らない後輩よ、あなたは知らなくていい。
まだ知らなくていいのさ。

私の夢が叶ったら、話すよ。