夢に出てくるのはいつも
相変わらず傷は痛い。それでも歩けるようになったし、ご飯も食べれるようになった。
旦那も忙しい中時間を見つけて会いに来てくれるし、両親も義両親も顔を出してくれた。ありがたい。恵まれていることに感謝したい。
さすがに1日中暇を潰す術をなくしつつあるので、ベッドに足を投げ出してぼんやり考え事でもするとしよう。
今日は夢を見た。昔付き合っていた人が出てきた。長いこと長いこと、人生で1番心を持ってかれていた人だ。
なぜか夢ではその人は私に優しい。いい記憶しか残らないというのはよく言ったもので、これも一種の記憶の改ざんだ。
そのおかげなのかずいぶんとまあ引きずり続けたが、それも昔の話。旦那との出会いではっきりいってふっきれている。
私は旦那がだいすきだ。旦那しか見えないのである。
感傷に浸るような夢をいつもみているわけではないが、夢になぜか旦那は出てきたことがない。不思議だ。出てくるのは昔好きだった人。もう、知らない人。
母が「〇〇(私)が小さかった頃の夢を見た」と言っていたのを何度か聞いたことがある。
夢は昔のことをうつすのだろうか。
そういえば、昔からよく追いかけられる夢をよく見ていた。今でも見る。
逃げ切れなくなりそうなところで目が覚める。当然、目覚めは最低だ。
嫌なことがあるとき、うまく行っていないことがあるとき、何かで首がしまっているとき。人生の大半以上のそんなときに見てきた夢だ。
ずっと悩んでいたが、ふと最近あまり見なくなったことに気づく。いつからか?きっと旦那と結婚してからだ。
旦那がいてくれるだけで私は幸せなのだ。嫌なことがあっても、何かうまく行っていなくても、何かで首がしまっていても。
1日の終わりを旦那と迎えることができたら。それだけで私は明日を生きていける。
旦那がいない人生は、もういらないのだ。
これは依存なのだろうか。きっと依存なのだろう。
特にこれといった趣味もない。いや、旦那が趣味なのだ。
毎日ちょっとちょっかいを出して構ってもらえるだけでいい。休みの日に一緒に必要なものを買いに行くだけでいい。一緒に美味しいものを食べて、たまにちょっぴり遠くに出かけて、季節が巡ってくるのを一緒に感じる。それが、いい。
旦那がいてくれることが1番幸せだ。
ずっとしんどかった。ずっと寂しかった。きっと無理をしてきた。気づかないところで。
幼い頃から大人ぶってしまった私は、弱音を吐ける場所がなかった。
手を差し伸べてくれたのは、旦那だった。人前で泣けたのは、久しぶりだったかもしれない。旦那と出会ってから、私は幸せだ。
私の人生は、旦那なしではもう意味をなさなくなってしまった。それは、私が望んでいること。
私のことがだいすきな旦那は、きっと私がこんなに旦那のことをだいすきだとは思っていないだろう。
それもきっと、それでいいのだ。
自分が重い女だということは、思春期から気づいている。
人生何があるかわからないものだ。
中学校も高校も嫌なことだらけだったけれど、いいことがあったね。
これからもきっと谷あり谷あり。山もあるかしら。あるといいね。
周りの人と、そして自分も、大切にしよう。
一人で生きると決めるより、誰かを信じて一緒に生きるほうがきっと幸せだ。
そんな人があらわれてくれたことへの感謝を忘れずに、いつまでもいれたらいいなと、思う。
そろそろ消灯だ。今日は夢なんてみなくていいほどに、深い眠りに落ちたいものだ。